これまでの優里亜のストーリー~これまでのことをストーリー化してみた~前編

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優里亜(私)について
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こんにちは。今回は私のこれまでのストーリーを書きます。私の複数ある強みの中で、【聞いたことや、読んだこと、感じたことをストーリー化できる】というものがあります。その強みを生かし、今回の記事を書くことに決めました。

生まれてから幼少時代

まず、生まれてから幼少時代にかけてのお話です。

幼稚園の頃からいじめられていた

私自身に記憶はほとんどないのですが、幼稚園の頃からいじめられていたそうです。キツイ性格の同じクラスの子にいろいろ言われたり、ジャングルジムから落ちそうになったこともあったそうです。

小学校に入ると、低学年の頃からいじめられることになりました。体育着をトイレの床で濡らされたり、自分自身も濡らされたり。髪も切られたりしたそうです。実は、私は一度転校しているのですが、転校以前の学校の記憶は全くといっていいほどありません。いじめの話は後に親から聞いたのです。親は、不登校直前までいった、と話していました。防御のために記憶が消えたのかな?と思います。

転校先でのいじめの原因の一つは色が違う体育着

小4の時私は家の都合で転校することになりました。転校先はとても大きく、歴史もある学校でした。その学校では当時、男子は青、女子は赤の体育着を着ていました。対して、私は青の体育着。転校前の学校が全員青だったから。転校したのが小4の3学期だったので、学校と親が相談し、後2年だから前の学校の体育着を着ることに決まっていました。

転校時から私は背が高く、ショートカットでとても目立っていました。さらに、体育になって着替えたら私だけ女子なのに青。そう、このことがいじめの原因の一つになったのです。

『なんで女子なのに青の体育着を着てるの?』みんなが聞いてきました。そりゃそうです。一人だけ違うのだから。私はその質問のたびに、前の学校ではみんな青だったんだと答えました。そうなんだ!で終わる人がほとんどでしたが、そうじゃない人がいたのです。

『青い体育着なんて変なの。男子なんじゃないの?』などと、最初はからかいくらいのレベルでした。私は青だけど女子だよー。5年生になったら赤い体育着を買うんだ、と普通に返していました。でも、女子のリーダー格の人がいて、どんどんエスカレートしていきました。

転校してすぐの体育の時間、男女で分かれていたと記憶しているのですが、青の体育着なんだから男子の方に行け!とおもいきり押されたのです。私はやられたらやり返すタイプなので、何するんだ!と押し返しました。するとあっという間に取っ組み合いのけんかみたいになりました。先生が慌てて飛んできて止める始末。

それ以来、私は完全にいじめのターゲットになってしまったのです。教科書を破られたり、ホースで水をかけられたり。文句も言われ続けました。結局、6年生で卒業しても、ほとんどの人がそのまま同じ公立の中学に上がるので、いじめは終わらなかったのです。



中学になったらいじめがさらにエスカレート

結局、小学校のメンバーがほとんどそのまま中学校に上がりました。でも、他の地域の学校からも生徒が集まるので、少しは変わるかも?と入学時は少し期待していました。ところが、少数の違う地域の生徒は、あっという間に多数の生徒達の中に入ってしまったのです。

小学校の頃はそこまで男女共に力がないので、ほぼ悪口だけだったいじめ。中学に入ると、男女共に、特に男子が身長も伸び、力も付いてきます。そうなった時、いじめはさらにエスカレート。悪口だけだったいじめに、男子の暴力がプラスされたのです。

悪口やシカトだけでも辛かったのに、殴られたり蹴られたりすることがどんどん増えていきました。さらに、私の学年は荒れていて、一クラスに一人以上いじめっ子がいて、一人以上はいじめられっ子がいるというとんでもない状況だったのです。

例えば、廊下をただ歩いているだけで背中を蹴飛ばされて吹っ飛ばされる。教室に立っていたら、違うクラスの男子が入ってきて(当時は違うクラスに入るのがOKでした)なんの用だと思ったら、私のお腹を殴って帰っていく。などなど。この時は、とっさすぎて自分の身を守ることができず、痛みと驚きでお腹を抑えてうずくまることしかできませんでした。

怖かったのは部活の時もです。私はソフトテニス部で、校庭の端のコートで練習していました。すぐ隣は男子サッカー部が使う校庭。コートの隣にはサッカーゴールがありました。よりによって、サッカー部には私をいじめている男子が多かったのです。そうなると、部活の練習中は恐怖でしかありません。男子が全力で蹴ったボールがバンバンコート側に飛んでくるからです。しかも、ゴール練習だと言いながら、わざとゴールを外して、私がいる方に飛ばしてくるのです。なんでわかったかというと、飛ばしたボールが私にぶつからないと、「あー!」と残念そうな大きな声が複数聞こえたから。実際にボールがぶつかってケガをしたこともありました。恐怖を感じながらも、なんとか引退まで部活をすることができました。

結局いじめは中学を卒業するまで続きました。私は小中学時代の同級生が大嫌いで、未だに許すことができないでいます。



小中共に、先生の対応が残念

こんなにいじめられ続けて、先生に伝えなかったのか?と思う方もいるでしょう。小学校の時も、中学校の時も、何度も相談しました。でも、先生の対応が残念なことも多かったのです。

先に書いておくと、すごく素敵な先生もいらっしゃいました。私といじめっ子(その時問題を起こした人)二人だけを呼びだし、それぞれに話をした後、それぞれの親に連絡します!と言い切った先生。この時は、男子に重いペンケースで殴られたので、私も自分のペンケースで殴り返したら大騒ぎになったのですが、私は後悔していませんでした。でも、なぜか一人での下校時、その男子が親に怒られてしまうと泣きながら帰ったことを覚えています。(未だになぜなのかわかりません)その先生は、いじめの対応をしっかりやってくれたのでとても嬉しかったです。

そんな素敵な先生がいらっしゃる中で、辛い対応もたくさんありました。いじめのことを相談したら、『いじめられる方が悪い』と言い切り、何もしてくれなかった先生。この当時、親にいじめられたことを話していて、親が先生と話しても同じ反応で全く何もせず、親が起こっていたのを覚えています。

小、中、両方ですごい多かったのが、私抜きでの話し合いでした。これがかなり辛かったです。また、臨時の学年集会がしょっちゅう開かれました。その場で、いじめで壊されたものを学年全員の前で提示し『これは○○さんの(壊された人の名前)ものです。壊したのは誰ですか?』と先生が言うのです。

この両方の対応の結果、どうなるかというと、もう最悪です。先生にチクったことがバレバレなので、私を含めたいじめられっ子へのいじめがただただ酷くなるだけでした。

高校では静かに過ごした

高校では、中学の時のことがトラウマになり、とにかく個性を出さないように、静かに過ごしたことを覚えています。一応友達はできたものの、大人になった今、付き合いが続いている人はいません。でも、当時から、いやもっと前から小説を書くのは大好きで、友達と交換日記ならぬ交換小説をやっていました。主人公の名前と、大きくどんな物語にするかだけを決め、(今でいう異世界転移ものなど)1ページずつ交換しながら小説を書いていくというもの。どんな話を書くか相談することはないので、予想外の方向に物語が進んだりしてとても面白かったです。

今ならわかる、ずっといじめられた原因(発達障害的な特性)

『いじめられるのは、あなたにも理由があるんだよ』と何度も言われました。今ならわかります。私にもたくさん原因はあると。例えば発達障害の特性など。そりゃ、多動だったりいろいろやらかしてたら頭にきますよね。

でも、どんな理由があろうと、いじめるのは絶対ダメです。特に暴力なんかもってのほか。

自己肯定感がゼロで、自分のことが大嫌い

いじめ以外でもいろいろな問題があり、私は自己肯定感がゼロのまま大人になりました。さらに自分のことが大嫌い。いつも(こんな私なんか・・・)と思いながら生きてきました。というか今もほぼそんな感じです。しかし、この考え方や生き方は、周りにも被害を及ぼすことをしばらくわかっていなかったのです。

詳しくは後編でお話します。

高校卒業以降は後編へ

ここまでが生まれてから高校卒業するまでの私のストーリーです。読んでわかるとおり、私の学生時代はほとんどいじめで終わりました。いじめは本当に自己肯定感を消してしまいます。私はこれからも当時のいじめっ子達を許せないかもしれません。でも、自分の為にも、いじめっ子達を見返すためにも、これからでも仕事を含めて楽しく幸せに生きれるように頑張ります。

高校卒業以降のストーリーは後編で書きます。

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